日本歴史地名大系 「真鍋島城跡」の解説 真鍋島城跡まなべしまじようあと 岡山県:笠岡市真鍋島真鍋島城跡[現在地名]笠岡市真鍋島真鍋島の東端、東の山と通称される標高一二七メートルの城山(しろやま)にある。真鍋島にはほかに中央部の通称城山(じようやま)に真鍋城跡、西部には沢津丸(さわづまる)の城跡があり、真鍋城跡には石垣・犬走・空堀などの遺構がみえる。当城北西の港を形成する岩坪(いわつぼ)集落には五輪塔が数多く残る。「備中府志」によれば城主は真鍋四郎祐久。「小田郡誌」などでは、大納言藤原信成の子が配流され当地に拠り、真鍋島・北木(きたぎ)島・飛(ひ)島・六(む)島を領し真鍋氏を称したといい、同氏の支配は慶長五年(一六〇〇)備中国奉行小堀正次に所領を没収されるまで続いたといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by