真鍋島
まなべしま
北木島の南東に浮ぶ島嶼で、海を隔てて南は讃岐国。笠岡湊からは南方約一九キロにあたる。周囲約七・五キロ、面積約一・六五平方キロ、東西に細長く、北側は大きく湾入して良港となり、湾奥に本浦、東に岩坪の二集落がある。近世には北方の大島・茂床島、西方の問島、南方のハブ島・六島などは枝島であった。「平家物語」巻九に強弓の精兵としてその名がみえる真名辺四郎・五郎兄弟は、当島の開発領主真鍋氏の一族とされる。「山家集」によれば一二世紀にはすでに京より商人が下って来て海産物の商いをし、さらに塩飽島(現香川県丸亀市)へも足を伸ばしている。嘉元三年(一三〇五)頃とされる摂
渡庄目録および暦応五年(一三四二)の同目録(ともに九条家文書)に氏院領としてみえる真鍋庄は、一説では当地に比定される。
近世初頭、備中国奉行小堀政一が加子浦として掌握していたと考えられる。元和三年(一六一七)松山藩領となり、同五年から元禄一一年(一六九八)までは備後福山藩領、その後幕府領となり幕末に至った。漁労を中心とした浦方で、福山藩領時代も加子浦に指定され、加子役を負担することで周辺漁場の権益を有していた。のち、海役米を上納してこの権益を保持したが、海役米は元禄九年より天保一四年(一八四三)までは三石四斗余から三石九斗余の間であった(各年「免状」備中真鍋島の史料など、以下、断りのないものはすべて同書所収)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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真鍋島
まなべしま
岡山県南西部、瀬戸内海の笠岡(かさおか)諸島南部の島。笠岡市に属す。旧真鍋島村。面積1.65平方キロメートル。中世は土豪(どごう)の真鍋氏が支配し、城砦(じょうさい)跡がある。近世は漁業が活発で、現在も半農半漁であるが、第二次世界大戦後は無霜地という自然条件に着目した花卉(かき)の露地栽培に成功し、花の島として知られるようになった。現在は過疎化が進んでいる。真鍋氏一門の供養塔といわれる石造宝塔は県指定重要文化財。また島の歴史や民俗に関する資料を展示した真鍋島資料館がある。属島に六(む)島、大島などがあり、大島のイヌグスは県指定天然記念物。笠岡港からの定期船便がある。人口305(2009)。
[由比浜省吾]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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真鍋島
岡山県笠岡市、笠岡港の南東約18キロメートル、北木島と佐柳島の中間に位置する笠岡諸島の島。平安時代、藤原氏の一族がこの島に水軍を置き、真鍋氏を名乗ったとも言われている。夏目雅子の遺作となった映画「瀬戸内少年野球団」のロケ地としても知られる。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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