矢久村(読み)やきゆうむら

日本歴史地名大系 「矢久村」の解説

矢久村
やきゆうむら

[現在地名]四賀村中川なかがわ 矢久

松本藩領会田あいだ組で、のち幕府領。会田川上流の中川左岸段丘上の村で、横川よこかわ村の南、召田めすだ村の東に位置する。

天正一〇年(一五八二)本城主小笠原貞慶が会田城を攻めた時、会田氏は虚空蔵こくぞう山の本城を捨て会田川対岸の柳生やぎゆうに新塞を構え、討死したことが笠系大成に記されている。しかし「矢久」の用字は天正検地の両郡郷村高附帳に会田分矢久村六六石三斗七升とある。「信府統記」には「御朱印高六十六石三斗七升」で、享保九年(一七二四)当時の石高は一二二石七斗七升一合、うち田九九石二斗七升四合、畑一三石八斗五升二合となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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