矢倉町
やぐらちよう
[現在地名]新宮市新宮
馬町の東にあって、明神山の西麓から南麓にかけて人家が集中する。中世には矢倉氏の城(明神山城)があり、町名はこれに由来するという。矢倉氏は暦応三年(一三四〇)より熊野別当に代わって熊野地方を統治した熊野七上綱の一人で、「熊野年代記」によれば応永七年(一四〇〇)京に上り位階を授けられ、翌八年には熊野川下流北岸の鵜殿(現三重県南牟婁郡鵜殿村)に別邸を建て禄高は五千石であったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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