縄文式土器片が熊野速玉大社の境内と
市域は古くは熊野国に含まれ、「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年六月二三日条に神武天皇が「遂に狭野を越えて、熊野の神邑に到り」とある「
早くから熊野神が祀られ、「延喜式」神名帳に「熊野早玉神社」と記される熊野速玉大社は景行天皇のときの鎮座といわれ、熊野神に仕えた熊野三党といわれる宇井・榎本・鈴木の三氏は別当を出して熊野地方を統治したというが、明らかではない。「和名抄」記載の牟婁郡五郷のうち、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報