日本歴史地名大系 「矢合村」の解説 矢合村やわせむら 愛知県:稲沢市矢合村[現在地名]稲沢市矢合町西は儀長(ぎちよう)村・馬場(ばんば)村に接し、蛇行した三宅(みやけ)川南岸の自然堤防上の地高に位置する。天保村絵図・「徇行記」によると、村の南を八神(やがみ)街道が通り、この北に人家があり、村内は本郷(ほんごう)・西脇(にしわき)・新田(しんでん)の三区に分れていた。中世では鈴置(すずおき)郷・萩園(はぎぞの)村・八瀬(やわせ)とみえ、一部は妙興(みようこう)寺(現一宮市)領などであった(妙興寺文書)。天正末には織田信雄の家臣伊藤孫六郎の知行地であった(織田信雄分限帳)。概高七九九石余で、七七二石余は藩士一〇人の給知。田地一七町六反二畝余・畑地五〇町四反六畝余。井堀(いぼり)などの一〇ヵ村へ出小作をした。畑が多く松・杉の苗を栽培し、美濃・三河・伊勢の国までも出荷し、「村中ニ八戸ホト商店アリ、穀物・味噌・溜リヲ専ラ商ヘリ」という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by