日本歴史地名大系 「矢島城下」の解説
矢島城下
やしまじようか
北西流する
寛永一七年(一六四〇)生駒壱岐守高俊が一万石を拝領し、矢島藩創設以来、廃藩置県までの藩庁所在地。
矢島はかつて
矢島氏入部当時の規模は不明だが、年代不明の矢島絵図(秋田県庁蔵)によれば、子吉川に臨む鳥海山東麓の舌状台地の突端部に陣屋を設定し、その頸部に侍屋敷を置き、台地下に
菅原太郎右衛門由緒書(生駒藩史)に「寛永十七年八月より高俊公に仕へ、御代官役を勤め、後町奉行となり」とあり、二代高清の万治年間(一六五八―六一)までには町奉行が置かれていたと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報