日本歴史地名大系 「知念補給地区跡」の解説 知念補給地区跡ちねんほきゆうちくあと 沖縄県:沖縄島南部知念村知念補給地区跡玉城(たまぐすく)村・知念(ちねん)村・佐敷(さしき)町にあった米陸軍の基地。玉城村では総面積の約半分を占めていた。米軍は知念(ちねん)半島を占領後、一九四五年(昭和二〇年)収容所地区に指定して知念(ちねん)市を発足。四六年に同地区内の仲村渠(なかんだかり)・垣花(かきのはな)の一部を米軍施設として収用し、米軍政府・知念補給地区部隊が設置された。このため接収地域の住民のほとんどは親慶原(おやけばる)に移転することとなった。当施設は当初米海軍司令部として使用されていたが、のち陸軍の管理下となり、兵舎のほか、おもに米軍人軍属の住宅地区として使用された。七二年の日本復帰後提供施設となる。なお米極東戦略の秘密基地としてその性格および機能は秘密とされていたが、ベトナム戦争後の極東軍事基地の見直しにより返還対象となり、七九年一〇月に全面返還された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by