石ヶ谷村(読み)いしがたにむら

日本歴史地名大系 「石ヶ谷村」の解説

石ヶ谷村
いしがたにむら

[現在地名]津和野町豊稼(とよか)

野中(のなか)村の北、胡摩(ごま)ヶ岳の北麓、砥石(といし)山の北東麓に位置し高津川支流程彼(ほどがん)川上流域の山間の村。砥石山を中心とする笹(ささ)ヶ谷(たに)銅山・石ヶ谷銅山があり、畑(はた)ヶ迫(さこ)村など幕府領(石見銀山領)五ヵ村とともに五(ご)ヶ所(しよ)村、または間歩口(まぶくち)村とも称された。正保国絵図に村名がみえ、高二〇石余。元禄一〇年(一六九七)の石見銀山領村々覚によれば田方二〇石余・畑方三石余、年貢高は米一三石余・銀二六匁余、家数は本家一二・門屋三、人数六〇、牛一一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む