石利庄(読み)いわりのしよう

日本歴史地名大系 「石利庄」の解説

石利庄
いわりのしよう

岩利いわり一帯に成立していた。高山こうざん(現京都市右京区)領。延文四年(一三五九)六月一一日の足利義詮御教書案(高山寺文書)に「美濃国石利庄」とみえ、当庄は山城入道道信が高山寺方便智院に寄進し、安堵綸旨が下されたが、その後道信は地下人らと相語らって押妨し、方便智院雑掌光真の訴えによって幕府は違乱をやめ下地を光真に沙汰し付けるよう守護土岐頼康に命じている。同年一一月一〇日の蓮恵証状(同文書)では、当庄の三分の一は本主である道信が長福寺に寄進したものであるため、以後問題の起こらぬよう、三分の一の下地について高山寺側が去状を出したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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