20世紀日本人名事典 「石原米太郎」の解説 石原 米太郎イシハラ ヨネタロウ 昭和期の実業家 特殊製鋼社長。 生年明治15(1882)年9月2日 没年昭和36(1961)年5月6日 出生地群馬県 学歴〔年〕麻布獣医学校〔明治37年〕中退 経歴明治37年八幡製鉄所に入り、ドイツ人技師の指導で日本初の特殊鋼のルツボ炉による熔接に取り組んだ。特殊鋼国産化の動機となり日本特殊鋼創立に参加、大正13年互光商会を設立、独立した。昭和4年特殊製鋼を創設、現場の技術者から一人一業をモットーに一代で特殊製鋼を大企業に育て上げ、社長として生産販売に全力投入した。戦後は特殊物件特殊鋼処理委員会の委員長代理、日本鉄鋼連盟常任理事兼特殊鋼部会長、科学技術庁参与、武器審議会委員、産業合理化審議会委員などを歴任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石原米太郎」の解説 石原米太郎 いしはら-よねたろう 1882-1961 昭和時代の実業家。明治15年9月2日生まれ。37年八幡(やはた)製鉄所にはいり,日本特殊鋼合資をへて,昭和4年特殊製鋼を設立し,7年社長となる。軍需にもたすけられて事業をのばし,戦後は特殊鋼業界の発展につとめた。昭和36年5月6日死去。78歳。群馬県出身。麻布獣医学校(現麻布大)中退。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「石原米太郎」の解説 石原 米太郎 (いしわら よねたろう) 生年月日:1882年9月2日昭和時代の実業家。特殊製鋼社長1961年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by