朝日日本歴史人物事典 「石川素堂」の解説
石川素堂
生年:天保12.12.1(1842.1.12)
江戸末から明治大正時代の曹洞宗の僧。号は牧牛。尾張国春日井郡大曾根村(名古屋市)の道家祐七の3男。俗名寿三郎。滋賀清凉寺,神奈川最乗寺などの住職を歴任し,曹洞宗大学林(駒沢大学)学監も務めた。明治31(1898)年,能登(石川県)総持寺(祖院)が焼失,その復興を助けると同時に移転を計画。38年,総持寺貫首(独住第4世),翌年第8代曹洞宗管長となるや,この計画を発表,鶴見(横浜市)に44年に移転,総持寺中興と称された。教学に加え,宗門の政治,経営に卓越した力量を発揮した。<著作>『大円玄致禅師語録』<参考文献>横関了胤『曹洞宗百年のあゆみ』
(熊本英人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報