石川素堂(読み)いしかわ・そどう

朝日日本歴史人物事典 「石川素堂」の解説

石川素堂

没年:大正9.11.16(1920)
生年:天保12.12.1(1842.1.12)
江戸末から明治大正時代の曹洞宗の僧。号は牧牛尾張国春日井郡大曾根村(名古屋市)の道家祐七の3男。俗名寿三郎。滋賀清凉寺,神奈川最乗寺などの住職を歴任し,曹洞宗大学林(駒沢大学)学監も務めた。明治31(1898)年,能登(石川県)総持寺(祖院)が焼失,その復興を助けると同時に移転を計画。38年,総持寺貫首(独住第4世),翌年第8代曹洞宗管長となるや,この計画を発表,鶴見(横浜市)に44年に移転,総持寺中興と称された。教学に加え,宗門の政治,経営に卓越した力量を発揮した。<著作>『大円玄致禅師語録』<参考文献>横関了胤『曹洞宗百年のあゆみ』

(熊本英人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川素堂」の意味・わかりやすい解説

石川素堂
いしかわそどう

[生]天保12(1841).12.1. 尾張
[没]1924.11.11.
曹洞宗の僧。 1883年曹洞宗大学林の学監となり,1905年3月には総持寺貫主に推された。能登にあった大本山総持寺が焼失したとき,これを現在の横浜鶴見に移転再建した。

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