日本歴史地名大系 「石見国高郷村帳」の解説
石見国高郷村帳(宝永石見国郷村帳)
いわみのくにたかごうそんちよう
一冊
成立 宝永元年
写本 温泉津町内藤家
解説 本帳の後書きによると、宝永元年一二月浜田藩主松平康官が病気のため江戸から上使が下向、その際「石州之郷高村数寺社領共」を帳面二冊に書上げて提出したのが原本であるが、その所在は不明。本帳は享和三年九月温泉津村の内藤又左衛門が那賀郡太田村の石田初右衛門(「石見八重葎」の著者)所有の写本を借用して転写したもの。石見国六郡(安濃・邇摩・邑智・那賀・美濃・鹿足)を郡別に村名(枝郷を含む)・村高を列記し、郡ごとに村数・村高小計を掲げる。うち浜田藩領の村数と村高を注記し、最後に石見国総計高一四万二千四九九石二斗三升五合と記す。なお村名の仮名付は内藤又左衛門が「兼而聞覚置候ニ付」として付記したもの。
活字本 「新修島根県史」史料篇3近世(下)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報