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那賀 なが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

那賀
なが

和歌山県北部,紀の川市北東部の旧町域。紀ノ川の中流域に位置する。1955年名手町と王子村,狩宿村,上名手村,麻生津村の 4村が合体して那賀町が発足。2005年打田町,粉河町,桃山町,貴志川町の 4町と合体して紀の川市となった。北は和泉山脈南斜面から紀ノ川を挟んで南は飯盛山北斜面にわたる。中心集落の名手は大和街道と西高野街道(→高野街道)の分岐点。対岸の麻生津(おうづ)は近世,西高野街道の渡し場高野山への近道として利用された。主産業は農業で,米,ムギをはじめ,北部ではカキ(柿),南部ではミカンの生産が多い。華岡青洲の生地で墓碑がある。旧名手宿本陣(国指定史跡)の妹背家住宅は国の重要文化財に指定。一部地域は金剛生駒紀泉国定公園に属する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

那賀
なが

和歌山県北部、那賀郡にあった旧町名(那賀町(ちょう))。現在は紀の川市の北東部を占める地域。旧那賀町は、1955年(昭和30)名手(なて)町と上名手、麻生津(おうづ)、狩宿(かりしゅく)の3村と王子村の一部が合併して成立、2005年(平成17)打田(うちた)、粉河(こかわ)、桃山(ももやま)、貴志川(きしがわ)の4町と合併し、紀の川市として市制施行。紀ノ川北岸をJR和歌山線、国道24号、480号が通じる。紀ノ川を挟んで北は葛城(かつらぎ)山(858メートル)で大阪府に接し、南は飯盛(いいもり)山(746メートル)に至る。紀ノ川北岸に沿う名手市場が中心集落で、かつては大和(やまと)街道から西高野(にしこうや)街道が分岐する宿場町であった。旧名手宿本陣は国史跡に指定されるとともに、旧名手本陣妹背(いもせ)家住宅は江戸初期の大庄屋(おおじょうや)住宅で国の重要文化財。江戸末期の外科医華岡青洲(はなおかせいしゅう)の生地で、墓碑(県の史跡)がある。対岸の北涌(きたわき)は近世、紀ノ川の河港で西高野街道の渡津(としん)集落。南北の山地はミカン、カキの栽培地。黄銅鉱を産出した飯盛鉱山は1971年閉山。藤崎堰(せき)のある藤崎弁天付近と葛城山一帯は金剛生駒紀泉国定公園。[小池洋一]
『『那賀町史』(1981・那賀町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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