碇川台場跡(読み)いかりがわだいばあと

日本歴史地名大系 「碇川台場跡」の解説

碇川台場跡
いかりがわだいばあと

[現在地名]大槌町吉里吉里 浪板

浪板なみいた海岸の南寄り、松林の中にある。東側の海に面した土塁は津波で破壊され、丘寄り西側もほとんど崩れてわずかに形骸を保つにすぎない。元治元年(一八六四)四月、閉伊海岸巡見中の盛岡藩主南部利剛が新台場の構築を命じ、翌二年延べ人足六千人を投じて一ヵ月余の突貫工事で完成したという(「年中日記」前川文書)。碇川大炮場之図(盛岡市中央公民館蔵)によると、一辺一〇丈から二〇丈の五角形、一部二重の土塁をめぐらし、藩最大級の台場であったが、大砲の備えられた記録はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む