磯谷廉介(読み)イソガイ レンスケ

20世紀日本人名事典 「磯谷廉介」の解説

磯谷 廉介
イソガイ レンスケ

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治19(1886)年9月3日

没年
昭和42(1967)年6月6日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
陸士〔明治37年〕卒,陸大〔大正4年〕卒

経歴
大正4年参謀本部員、中国に出張、駐在し中国通の一人となった。昭和3年帰国、第1師団参謀長、教育総監部課長、参謀本部第2部長を経て10年中国大使館付武官となり、日本軍の華北進出工作を積極化。11年2.26事件後に軍務局長となり国防方針第3次改訂策定に当たった。同年中将、12年第10師団長、13年関東軍参謀長となり、14年ノモンハン事件で軍の撤退に反対して中央と対立、日本軍の敗北責任をとって更迭予備役となった。太平洋戦争中召集され、17年香港占領地総督。戦後、極東軍事裁判で終身刑となったが、27年釈放された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「磯谷廉介」の解説

磯谷廉介 いそがい-れんすけ

1886-1967 大正-昭和時代前期の軍人
明治19年9月3日生まれ。昭和11年陸軍省軍務局長となる。中国への侵攻作戦をすすめ,14年関東軍参謀長としてノモンハン事件に関与,敗北の責任をとらされ予備役となる。陸軍中将。戦後の極東軍事裁判で終身刑。27年出獄。昭和42年6月6日死去。80歳。兵庫県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「磯谷廉介」の解説

磯谷 廉介 (いそがい れんすけ)

生年月日:1886年9月3日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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