社倉城跡(読み)しやくらじようあと

日本歴史地名大系 「社倉城跡」の解説

社倉城跡
しやくらじようあと

[現在地名]高森町永野原 上境ノ口

幸子こうじ集落の北方三〇〇メートルのじよう山とよばれる山地末端にあり、標高約六六〇メートル。山頂に長円形の平坦地があり、北西を除く三方に曲輪がめぐる。「古城考」に「城主年代不分明、甲斐惟直入道宗運が父、大和守親宣、数代日州にあり、親宣阿蘇大宮司の家臣となり戦功多し」とあり、甲斐親宣は岩神いわがみ城に居城していたので、岩神城に近い社倉城も親宣がいたのではないかとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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