日本歴史地名大系 「高森町」の解説 高森町たかもりまち 長野県:下伊那郡高森町面積:四五・二九平方キロ下伊那郡の北部に位置する。北は天竜川の支流大沢(おおさわ)川を境として松川(まつかわ)町に、東は天竜川を境として豊丘(とよおか)村に、南は天竜川の支流南大島(みなみおおじま)川を境として飯田市座光寺(ざこうじ)区に、西は木曾山脈念丈(ねんじよう)岳(二二九一メートル)より南に張り出した本(ほん)高森山(一八九〇メートル)を境として飯田市並びに上郷(かみさと)町の山地部に接する。天竜川沿いの沖積地ないしは南北に発達した数段の河岸段丘上に、北から竜口(たつのくち)・上平(うえだいら)・駒場(こまば)・山吹(やまぶき)・吉田(よしだ)・下市田(しもいちだ)・上市田(かみいちだ)の集落があり、その西、本高森山から流出する田沢(たざわ)川・大島川などの東に傾斜した扇状地上に、北から新田(しんでん)・出原(いずはら)・大島山(おおじまさん)・牛牧(うしまき)などの集落が位置する。 高森町たかもりまち 熊本県:阿蘇郡高森町面積:一七五・四三平方キロ阿蘇郡の東端にあり、阿蘇外輪山の東部から東南部に位置する。東は越敷(おしき)岳(一〇四三・二メートル)・祖母(そぼ)山(一七五七メートル)を隔てて、その北側は大分県直入(なおいり)郡荻(おぎ)町、南側は宮崎県西臼杵(にしうすき)郡高千穂(たかちほ)町に接し、北は波野(なみの)村・一の宮(いちのみや)町、南は蘇陽(そよう)町、西は白水(はくすい)村に接し、南郷(なんごう)谷の東端に位置する。宮崎県の五(ご)ヶ瀬(せ)川水系、大分県の大野(おおの)川水系と有明海に注ぐ白川水系に属する川の上流に沿って集落がある。中世には阿蘇本社領南郷の一部である。江戸時代には高森町に高森手永会所、野尻(のじり)村に野尻手永会所が置かれた。 高森町たかもりまち 熊本県:阿蘇郡高森町高森町[現在地名]高森町高森東は柳(やなぎ)村(現蘇陽町)、北は村山(むらやま)村、南は高森村と接する。南郷の中心地。近世には高森手永に属し、阿蘇郡代の支配下にあった。「南郷事蹟考」に高四〇四石余とあり、本(ほん)町・横(よこ)町は公役を免除され、「郷村帳ニハ高森村ノ内ニ加ル、御高札場七枚立」と記される。熊本札の辻(ふだのつじ)から一一里、柏塚(かしわづか)に里数木があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高森町」の意味・わかりやすい解説 高森〔町〕たかもり 熊本県北東部,阿蘇火口原の南郷谷にある町。 1889年町制。 1955年草部 (くさかべ) 村,色見 (しきみ) 村と合体。 57年野尻 (のじり) 村を編入。中心地区の高森は中世に高森伊予守が築城したところ。食用油,清酒醸造,製材などの工場が立地。町域には畑地が広く,白川流域には水田が分布する。根子岳山麓の色見地区ではダイコン,キャベツ,ハクサイなどの高冷地野菜の栽培が盛ん。山地の緩傾斜地では和牛 (阿蘇赤牛) の飼育が行われる。南阿蘇国民休暇村,鍋の平キャンプ場などがあり,阿蘇くじゅう国立公園に属する。国道 265号線,325号線が通じ,高森は南阿蘇鉄道の発着点。面積 175.06km2。人口 5789(2020)。 高森〔町〕たかもり 長野県南部,伊那盆地南部,天竜川右岸にある町。 1957年山吹村と市田村が合体して町制。河岸段丘上では米作のほか,ナシ,リンゴ,カキなどの果樹栽培や畜産が行われる。特に干し柿は特産。近年は花卉栽培も発達。中心集落は市田で天竜舟下りの起点。町域の一部は天竜奥三河国定公園,中央アルプス県立自然公園に属する。 JR飯田線,国道 153号線が通る。面積 45.36km2。人口 1万2811(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by