日本歴史地名大系 「祖谷山旧記」の解説
祖谷山旧記
いややまきゆうき
一冊 喜多源治著
成立 延享元年
写本 東京大学史料編纂所・四国大学凌霄文庫ほか
解説 徳島藩が中世以来の土豪的勢力を温存する形で在地支配を行わざるをえなかった祖谷山の政所役として登用した喜多源内の後裔にあたる源治が、管内の名主から徴した伝来の古文書などをもとに作成した地誌。祖谷山は大きく東西に分れ、東分一二名・西分二四名の計三六名があった。本書の特徴は伝来の古文書をそのまま写の形で引用している点で、現在は所在が知られていない中世年号を有する文書も認められるほか、江戸初期に蜂須賀家から下された折紙等もある。「阿波国徴古雑抄」収録のもの(市原本「祖谷山旧記」)は宝暦九年の奥書のもので、末尾に「右者私共家筋并祖谷山旧記写仕、奉入御覧候、以上」とみえ、二次的な写本であったことが知られる。その底本は末尾に延享元年に喜多源治が手代に提出したことを記す「祖谷山旧記并喜多源治家系成立」であったとみられる。この延享本が「阿波藩民政資料」に収録されているもの(武田本「祖谷山旧記」)である。
活字本 「阿波国徴古雑抄」「阿波藩民政資料」「阿波国三好郡村誌」「祖谷山旧記」(復刻版)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報