( 1 )本来は古文書の形状を表わす言葉であり、現在普通に言われる⑥は、折据(おりすえ)、折形(おりかた)と呼ばれた。その基盤となったのは儀式の飾り物や進物の包みとして決まった形に折り上げる紙の折り方である。これは室町時代に確立したと言われる。
( 2 )遊戯的なものは古くから行なわれていたが、さまざまな形を折り出す紙の遊びは江戸時代に流行した。
紙を折って鶴やかぶとなどを作る日本の伝承遊び。正方形の用紙1枚から,切らず,加筆せず,のりづけせず,ただ折るだけであらゆる造形を引き出すことを理想とするが,切りこみや絵筆を加えることもある。〈折紙〉は本来,古文書の料紙の形状をさし,また後述のように贈物の包み方の意も含んでいる。江戸時代には造形遊びの方を折居(おりすえ),折形(おりかた)といった言葉で呼んでいたようである。これが明治のころからは畳紙(たたみがみ),摺紙(たたみがみ),折りもの,折紙細工などとなり,やがて今日の折紙となる。加えて明治の中ごろ,正方形に断裁された何色かの色紙を束ねたものが〈おりがみ〉として売り出されたことから,用紙のことも〈おりがみ〉と呼んでいる。なお,中国では〈摺紙〉という言葉を当てており,アメリカやヨーロッパでは〈ORIGAMI〉と記す。
折紙は遊びとして手から手へ伝承されてきたものであるから,起源については推測するしかない。もっとも,アメリカの民族学者レグマンG.Legmanらの熱心な探索も行われているが,その発生の地が日本とされていることにはどこからも異論は起こっていない。折紙の本来の語義から熨斗(のし)や包形(つつみがた)も折紙に加えるなら時代は相当さかのぼれるが,遊戯的折紙の資料となると,江戸後期の寛政9年(1797)に初版の出た《千羽鶴折形》が現存する世界最古の資料である。これは折紙を代表する〈折鶴(おりづる)〉を,2羽から97羽まで計49種類にわたる連続形として,いずれも1枚の紙からつなぎ折りするための展開図と完成形によって,狂歌を添えて示したものであるが,その序文では折鶴はすでに衆知のものと記されている。もう一つ具体的資料として知られるものに,足立一之が1845年(弘化2)までの数十年間,個人の備忘録として記録した232冊のノート中の《斯哉等草(かやらぐさ)》と題した2冊の書がある。そこには熨斗,包形からはじまって,植物,昆虫,獣,鳥,人形などバラエティに富んだテーマの折り方が計48点記録されている(佐久間八重女《古典折り紙》(1981)にその主要部分が紹介されている)。
日本で生まれた折紙のヨーロッパなどへの伝播は奇術師によるとされている。つまり手品の材料に折紙が使われたということである。レグマンの探索レポートには1870年代の話が出ているが,これよりずっと以前,折紙遊びは海外へ伝えられていたことは確かで,幼稚園教育の創始者F.フレーベルが幼児教材(恩物(おんぶつ))の一つにこれを採用していることからもそれは明らかである。ここで注目すべきは,フレーベルの恩物への採択主旨が,初等幾何の基本教材としての評価による点である。そしてこれは明治新政府の幼稚園制度施行の指針の中へ逆輸入されることとなる。ところが,年月を経るにしたがって,この初等幾何教材としての評価は忘れられ,一部児童心理学者らにより〈折紙は自由な創造性を損うもの〉との批判を受けて,正規の教材指定をはずされた。これは,折紙のもつ造形的変化の多様性を見落としたばかりか,正確に角と角,あるいは辺と辺とを合わせて折る,ということから導かれる幾何的厳密性の価値をも見落としたことに原因するといえよう。しかし近年,化学者槌田竜太郎,物理学者伏見康治らにより,折紙に秘められていた幾何教材としての一面に高度な価値づけをする実践提示がなされた(伏見康治・満枝著《折り紙の幾何学》(1979)など)。一方,アメリカのニューヨーク・オリガミセンターを筆頭に,イギリス,イタリア,フランス,日本などに折紙協会が結成され,愛好者を結集しており,新しいホビーとしての普及を目ざしている。
執筆者:笠原 邦彦
正月の床飾や婚礼の提子(ひさげ)飾など,和紙を儀式の飾りとして折り上げる方式と,物品を和紙で折り目正しく折り包んで贈進する包みの方式とを,併せて古くから〈折形(おりかた)〉の礼法といった。中身の物品が一見してわかるように,物品の形や位(くらい)を象徴する形態に折り仕上げる折形は,日本独自の礼法である。この折形は,室町時代,将軍足利義満が武家の礼法を制定した時から,幕府殿中の礼法をつかさどる伊勢家が考案して上級武家に秘伝として教え続けたものだった(伊勢貞丈《包之記》1764)。江戸中期に和紙生産が盛んになると,《女大学》などの啓蒙書にも武家式を改変した折形図が多数掲載されて何百種もの形が一般に普及し,やがて遊戯用折形の本も刊行された。明治から昭和前期までは女学校などの作法の教科にも取り入れられ,その種類は数千種に及んだ。現在も伝統に基づきながら現代生活にも適応する折形が創案されて,広く普及している。
執筆者:山根 章弘
古文書の料紙の形状。ふつうの横長の1枚の文書の料紙を竪紙(たてがみ)といい,それを横に半分に折ったのが折紙である。折紙に文字を書く場合は,つねに折目を下にして書く。文章が長くなったときには,二つ折りにした料紙をそのままひっくり返して,同じく折目を下にして文章を続ける。したがってそれをひろげてみると,折目を中心にして文字が上下に向かい合って対称的になっている。折紙は平安時代末ごろから使われはじめ,中世末から近世にかけて多数用いられるようになる。最初は目録や交名(きようみよう)(名簿)など簡単なものに用いられたが,やがて長い文書も書かれるようになる。室町から戦国時代にかけて室町幕府奉行人奉書をはじめ,武家の文書としてしばしば用いられるが,いずれにしても竪紙に対する略式のものである。近世に入ると刀剣,書画,骨董などの鑑定書にも用いられ,〈折紙付き〉という言葉も生まれた(極書(きわめがき))。なお,一紙の料紙を竪に半分に折って使う竪折紙という使用法もあり,かなの文書に多く用いられている。
執筆者:上島 有
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
古文書の用紙の形。1枚の和紙を横に半折(はんせつ)したもの、またはそれを用いた文書。平安時代末よりみられる。本来、自分の覚書に用いたものと思われるが、覚書としてそのまま相手に手渡されるようにもなり、用途が拡大していった。鎌倉時代には、訴訟の訴状、陳状に折紙が使用され、「折紙」が訴陳状の別称となっていた。室町時代になると、全紙そのままの竪紙(たてがみ)に対し、折紙は略式のものと位置づけられ、書状、奉書、散状、献上物の目録などに盛んに用いられるようになった。室町時代、折紙といった場合、献上物目録の別称のことがある。また官位の申請に用いる折紙をとくに小折紙という。江戸時代になると「折紙付き」ということばがあるように、鑑定書のことを折紙といった。
[百瀬今朝雄]
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…桃山時代,刀剣の鑑定には本阿弥家(本阿弥光悦)が,書跡では古筆家(古筆了佐)が登場する。鑑定の証明には折紙が用いられ〈折紙付き〉の称がおこる。刀剣の銘鑑や古筆の手鑑(てかがみ)の集録もこのころから始まっている。…
…それに文字を書いた場合が竪文である。古文書学上,竪紙を折った折紙,また竪紙を切った切紙に対する言葉として説明されるが,それは竪紙がもっとも自然な,したがって正式な使い方であるということを前提にしている。公文書の場合,竪紙が正式で折紙が略式である。…
…正式には礼紙(らいし)と呼ぶ白紙を1枚そえる。 折紙(おりがみ)全紙を横に半分に折り,折り目を下に(凶事には折り目を上)書き進み,奥に至るとそのまま折り返した裏面に書く。展開すれば,折り目で行末が尻合せとなる。…
…ミツマタを材料とする三椏紙は,江戸時代中ごろには生産されるようになったが,文書,典籍等の料紙としてはほとんど用いられていない。 普通の横長の一枚の料紙を竪紙(たてがみ)といい,それを横に二つ折にして天地を背中合せにしたものを折紙,縦に二つ折にして左右を背中合せにしたものを竪(縦)折紙といい,竪紙を縦や横に適当に裁断したものが切紙である。竪紙一紙で書ききれない場合には,これを2枚,3枚と糊ではりついだものを用いる。…
※「折紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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