祝田町(読み)いわいだちよう

日本歴史地名大系 「祝田町」の解説

祝田町
いわいだちよう

[現在地名]千代田区皇居外苑こうきよがいえん

明治五年(一八七二)に成立。宝田たからだ町の南にあり、東から南を日比谷ひびや堀が巡る。北東の馬場先ばばさき門で八重洲やえす有楽ゆうらく町へ、南西の外桜田そとさくらだ門で日比谷・霞ヶ関かすみがせきへ通じ、北西の二重にじゆう橋でかつての江戸城西丸大手おおて(皇居正門)へ至る。古くは祝田村の内で、住民は江戸城拡張に伴い日本橋へ移転、徳川家康江戸入部後に伝馬役を勤めた由緒から町名大伝馬おおでんま(現中央区)とした(新編千代田区史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android