神吉庄(読み)かんきのしよう

日本歴史地名大系 「神吉庄」の解説

神吉庄
かんきのしよう

東神吉町神吉ひがしかんきちようかんき一帯に比定される庄園。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)には、安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)領として「大国庄内神吉村京極准后」とみえ、京極准后は領家と思われる。応永二六年(一四一九)一一月日、上月吉景は神吉公文職を上月景久へ譲与した(「上月吉景譲状并置文」上月文書)。一六世紀初め頃、「神吉庄内神主六郎左衛門分」が梶原猪右衛門に兵粮料として与えられている(年未詳八月九日「小寺政職折紙写」加須屋文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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