神岡上村(読み)かみおかかみむら

日本歴史地名大系 「神岡上村」の解説

神岡上村
かみおかかみむら

[現在地名]北茨城市関南せきなみ町神岡上

東は海で平地が開け、西と南は低い山。岩城相馬いわきそうま街道が海岸線に沿って南北に通じ、北は神岡下村。古くは神岡下村と合せて一村であったが、承応(一六五二―五五)から寛文(一六六一―七三)の間に上下二村に分れたと推定される(→神岡下村。承応二年の検地帳(北茨城市役所蔵)に「常州多賀郡神岡村上前田方水帳」として、村高七五一・三八二六六石とある。この神岡村上前が後の神岡上村と思われる。寛文一一年棚倉藩主内藤信良の弟信全が旗本内藤家を創立し、その領地となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む