朝日日本歴史人物事典 「神崎かね」の解説
神崎かね
平安後期の今様謡いの遊女。なお神崎(兵庫県尼崎市)は淀川の支流,三国川の河口の水駅で遊女の本拠地のひとつ。神崎かねは後白河天皇の生母待賢門院に局を与えられており,当時母と同殿していた雅仁親王(のちの後白河天皇)が一夜おきに借り出しては今様を謡わせていたとの記事が『梁塵秘抄口伝集』にみられる。また『今鏡』の「弓の音」には,天承1(1131)年,藤原伊通が中納言に任ぜられなかったのを不服として,檳榔毛の牛車を破り焼いたのち,紺の水干に紅の衣といういでたちで,川尻のかねの元へ行ったとの逸話を残す。『古事談』には「神崎遊女金」,『十訓抄』では「神崎の君かね」と記している。
(小川寿子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報