日本歴史地名大系 「神崎城跡」の解説 神崎城跡こうざきじようあと 高知県:須崎市浦ノ内村神崎城跡[現在地名]須崎市浦ノ内灰方浦(うら)ノ内灰方(うちはいがた)と土佐市宇佐(うさ)町福島(ふくしま)にまたがる城(しろ)ヶ森(もり)(一五〇メートル)の頂上にある。田原六郎秀幸の居城と伝える。秀幸は元弘の乱で土佐に流された尊良親王に忠誠を尽したという幡多(はた)郡大方(おおがた)郷奥湊川(おくみなとがわ)(現大方町)の領主大平弾正の甥と伝えるが、明らかでない。建武三年(一三三六)一〇月二五日付の佐伯経貞軍忠状(蠧簡集拾遺)によると、同月二三日、岡本(おかもと)城主と考えられる北朝方の佐伯経貞(堅田小三郎)が神崎城を攻め落している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by