須崎市(読み)スサキシ

デジタル大辞泉 「須崎市」の意味・読み・例文・類語

すさき‐し【須崎市】

須崎

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日本歴史地名大系 「須崎市」の解説

須崎市
すさきし

面積:一三六・一八平方キロ

土佐湾のほぼ中央に位置し、市の中央北部に蟠蛇森ばんだがもり(七六九・三メートル)虚空蔵こくぞう(六七四・七メートル)があり、その間をさくら川が南流。これらの山は秩父古生層を主とし、珪石・石灰岩よりなり、南面は仏像構造線に伴う断層となっている。断層崖下の標高二〇〇―三〇〇メートルの丘陵は、東に延びて土佐市との境をなす。市の西方綱付つなつけ(八四二メートル)から東行する山嶺は、角谷かどや岬でいったん海に没し、須崎湾対岸の山崎やまさき鼻から再び東へ延び、海蔵寺かいぞうじ(一七三・四メートル)法院ほういん(二七九・四メートル)を経てうらうち湾を南から抱く横浪よこなみ半島脊梁部となっている。途中、法院山から分脈が南へ走ってはちじりに至り、その先端にこう島・なかノ島・島が点在して野見のみ湾を抱く。須崎市は昭和二九年(一九五四)成立して高岡郡から分離したが、市名は中世以来の港町須崎による。須崎は中村街道(国道五六号)に沿い、愛媛県宇和島うわじま市へ通ずる檮原ゆすはら街道(国道一九七号)の起点でもある。国鉄土讃本線は高岡郡佐川さかわ町を経て市域に入るとほぼ国道五六号と並行して走り、市域には吾桑あそうおおごう大間おおま・須崎・土佐新荘とさしんじよう安和あわの六駅がある。

〔原始・古代〕

縄文時代の遺跡は未発見であるが、桜川流域と新荘川流域に弥生時代の遺跡がある。弥生時代中期の吾井郷の弘岡音丸あいのごうのひろおかおとまる遺跡と下郷の増岡しもごうのますおか遺跡は、ともに高地性集落遺跡の可能性が強い。須崎湾東岸の古田ふるた遺跡は弥生後期の墳墓遺跡と考えられるが、集落跡は発見されていない。これらの遺跡と同時代のものとして下分波介しもぶんはげの銅剣埋納遺跡や神田飛田こうだひだの銅矛埋納遺跡があり、飛田遺跡北方の吾井郷山添やまぞえからは銅剣形石剣が出土している。また多ノ郷賀茂かも神社にも弥生時代の銅剣がある。

浦ノ内湾口近くの灰方はいがたでは二基の古墳が発見されている。六世紀中葉から七世紀にかけてのもので、海岸線に接した立地から被葬者は海に関係があった者と考えられている。「和名抄」所載の高岡郡海部あまべ郷は須崎市から土佐市にかけた海浜部に比定されているが、野見湾の「野見千軒」「戸島千軒」の伝説や灰方の古墳群などは、須崎湾・野見湾・浦ノ内湾に臨んだ古代漁業集落の存在をうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「須崎市」の意味・わかりやすい解説

須崎〔市〕
すさき

高知県中部,土佐湾に面する市。 1954年須崎町と浦ノ内,多ノ郷,吾桑,上分の4村が合体して市制。新荘川流域の狭長な平野を除くと,市域はほとんど山地。須崎,浦ノ内,野見の3湾をもち,かつてはカツオ漁の基地として繁栄した。現在は野見,浦ノ内両湾ではハマチなどの養殖が行われている。須崎港は水深が大きい良港で,木材,石灰石セメントなどの積出港。 65年に重要港湾に指定された。従来,石灰・造船・製材・水産加工工業が行われてきたが,第2次世界大戦後,セメント,電子工業が進出し,高知市に次ぐ工業都市に発展。平野部では野菜,果物の施設園芸が行われ,南斜面にはミカン園が多い。海岸はリアス式で,変化に富み,横浪,須崎湾の2つの県立自然公園がある。史跡の幕末の土佐藩砲台跡や天然記念物の大谷の大クス,横浪三里なども知られる。 JR土讃線,国道 56号線,197号線,494号線が通る。面積 135.34km2。人口 2万0590(2020)。

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