浦ノ内村(読み)うらのうちむら

日本歴史地名大系 「浦ノ内村」の解説

浦ノ内村
うらのうちむら

[現在地名]須崎市浦(うら)ノ内灰方(うちはいがた)・浦(うら)ノ内塩間(うちしわい)・浦(うら)ノ内出見(うちいずみ)・浦(うら)ノ内立目摺木(うちたちめするぎ)・浦ノ内須ノ浦(うらのうちすのうら)・浦(うら)ノ内福良(うちふくら)・浦(うら)ノ内今川内(うちこんがうち)・浦(うら)ノ内下中山(うちしもなかやま)

浦ノ内湾北岸と、湾南に東西に長く延びた横浪(よこなみ)半島を村域とし、「土佐州郡志」に「東限宇佐村、西限奥浦東分、南距海浜、北接塚地・波介・出間・岩戸・浅井」と記す。中世の浦内(うらのうち)郷の過半を占め、天正一七年(一五八九)の浦内郷地検帳にみえる灰潟(はいがた)・塩間・出見・立目・摺木・広浦(ひろうら)・淵浦(ふちうら)・大添(おおぞえ)・福良・奥河内(おくがうち)・入戸(にゆうと)の一一小村が村域に含まれたと考えられ、有遠(ありとお)・宗光(むねみつ)・政光(まさみつ)など二二の名があった。これらの名に関連すると思われる有藤・宗光・政光の名字や太良丸(たろうまる)の地名、光清(みつきよ)という小祠が現存。検地面積六四町九反余、ヤシキ一二四筆と推定され、同年の浦内郷塩浜地検帳により塩浜七九浜があったことがわかる。

元禄地払帳には口浦(くちうら)村とあるが、これは奥浦(おくうら)村に対する称で、口浦ノ内の略と考えられ、浦ノ内湾の入口の意であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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