日本歴史地名大系 の解説 神田久右衛門町一丁目蔵地かんだきゆうえもんちよういつちようめくらち 東京都:千代田区旧神田区地区神田久右衛門町一丁目蔵地[現在地名]千代田区東神田(ひがしかんだ)三丁目神田川に架かる新(あたら)シ橋の北側に位置する片側町。西は神田佐久間(かんださくま)町四丁目元地と同裏町ならびに神田富松(かんだとみまつ)町元地、東は同久右衛門町二丁目蔵地と同八名川(やながわ)町、南は神田川、北は同餌鳥(えとり)屋敷町会所。町名は元和二年(一六一六)久右衛門が草創人となって豊島郡峡田(はけた)領鳥越(とりごえ)村(現台東区)に町屋を形成し、久右衛門町一―二丁目が開かれたことに由来する。寛永一八年(一六四一)の江戸大火により神田川河岸通りの荷揚場が深川に移転を命じられ、久右衛門町はじめ三五町が代地を与えられた。享保三年(一七一八)の火災で類焼し残地は火除地として収公された。一丁目の代地は、久右衛門町元地である柳原(やなぎはら)土手内橋本(はしもと)町向い側の松浦造酒丞・本多半右衛門・小幡小助邸跡が与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by