日本歴史地名大系 「神田多町一丁目」の解説 神田多町一丁目かんだたちよういつちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区神田多町一丁目[現在地名]千代田区神田多町(かんだたちよう)二丁目竪大工(たてだいく)町の北に位置する町屋で、中之(なかの)橋から北に向かう道筋に沿った両側町。西は横大工(よこだいく)町、東は鍋町北横(なべちようきたよこ)町・同西横町、北は神田多町二丁目。慶長年間(一五九六―一六一五)頃に草創名主の河津五郎太夫(十兵衛)が野菜市を開いたとされる(続江戸砂子・東京府志料)。明暦三年(一六五七)の新添江戸之図に「メツタ丁」一―二丁目とあり、延宝年間(一六七三―八一)の絵図以降多町とみえる。なお寛永江戸図には「めつた丁」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by