中之郷(読み)なかのごう

日本歴史地名大系 「中之郷」の解説

中之郷
なかのごう

[現在地名]八丈町中之郷

樫立かしたて村の南東ひがし(三原山)の南麓に位置し、東は末吉すえよし村。「南方海島志」は「中之郷 巽ノ方末吉ト樫立ノ中ニアル故ニ名ク」と地名由来を記す。安永三年(一七七四)の伊豆国附島々様子大概書によると反別は田一七町八反余・畑三五町五反余、戸口は一一九軒・六六二人、ほかに流人一五人、牛一八八。大御堂に明和大飢饉の餓死者冥福之碑(都指定文化財)がある。碑文にはこの飢饉で村人の三人に二人が餓死したと記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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