日本歴史地名大系 「神窪村」の解説 神窪村いものくぼむら 千葉県:八千代市神窪村[現在地名]八千代市神久保(いものくぼ)島田(しまだ)村の北に位置。神久保などとも記された。中世は臼井(うすい)庄のうち。応永四年(一三九七)一二月二三日の足利氏満挙状(中山法華経寺文書)にみえる臼井庄神保(じんぼう)郷「伊毛窪」村は当地にあたり、鎌倉公方足利氏満は日尊から日暹に譲られた当地など中山法華経寺領の安堵を管領斯波義将に取次いでいる。同二七年一二月二一日には千葉兼胤が当地などを日暹に安堵している(「千葉兼胤安堵状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by