千葉兼胤(読み)ちば・かねたね

朝日日本歴史人物事典 「千葉兼胤」の解説

千葉兼胤

没年:永享2.6.17(1430.7.7)
生年:明徳3/元中9(1392)
室町時代武将。千葉介,下総守護。満胤の子。応永16(1409)年当時,鎌倉府侍所の職にあり,反乱を企てた新田某を捕らえて七里浜に沈めたという。同23年に犬懸上杉氏憲(禅秀)が鎌倉でクーデタを起こしたときは,父と共にこれに加担し一時鎌倉を制圧した。氏憲の娘を妻としていた関係から氏憲に味方したといわれるが,千葉氏の勢いを伸ばす好機とみて反乱軍に加わったのであろう。結局翌24年に氏憲が滅亡すると,降伏し家名を保った。

(山田邦明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千葉兼胤」の解説

千葉兼胤 ちば-かねたね

1392-1430 室町時代の武将。
明徳3=元中9年7月21日生まれ。千葉満胤(みつたね)の子。下総(しもうさ)千葉城主。応永16年謀反をおこした新田貞方(さだかた)を鎌倉七里ケ浜で殺す。23年上杉禅秀の乱では舅(しゅうと)禅秀に味方して足利持氏とたたかうが敗れた。永享2年6月17日死去。39歳。通称は千葉介。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「千葉兼胤」の解説

千葉兼胤 (ちばかねたね)

生年月日:1392年7月21日
室町時代の武将;千葉介;下総守護;清胤の子
1430年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android