祢宜町(読み)ねぎまち

日本歴史地名大系 「祢宜町」の解説

祢宜町
ねぎまち

[現在地名]弘前市祢宜町

城の東北に位置し、南は田茂木たもぎ町、北・東は町、西は小人こびと町・若党わかどう町に接し、田茂木町から八幡宮境内に至る道路の町並

寛永末年の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)に、祢宜町として家数二七とあり、城下成立とともに町割は行われ、八幡宮の禰宜・社人の屋敷が並ぶ。慶安二年(一六四九)の弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)には、禰宜一五、最勝院下屋敷七、町屋二、空地一の各屋敷が置かれ、八幡神主・神宮太夫ほか社人には姓がない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む