日本歴史地名大系 「弘前城下」の解説
弘前城下
ひろさきじようか
- 青森県:弘前市
- 弘前城下
津軽平野の南部、弘前台地とよばれる洪積台地と沖積平野の一部に町並を形成する。いわゆる
弘前の由来は「平山日記」に「此所元来鷹岡と申候処、御国十三之崎より沖ニ松前迄之間ニ大潮有、是を
〔城下の建設〕
慶長八年(一六〇三)弘前藩祖津軽為信が、高岡に町屋派立を命じて地割をしたことが、城下建設の第一歩といわれる(津軽歴代記類)。しかし
寛永末年頃の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)によれば、城下は城を中核として城北・城東・城南・城西の四地域に分れ、城西は掘替え以前の岩木川で他地域と区切られていた。正保三年の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、弘前城を中心に、城北は足軽町・歩者町・小人町・祢宜町・町屋が町割され、八幡宮や伊勢太神宮がある。城東は町屋・小人町・侍屋敷・寺院街が町割され、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報