日本歴史地名大系 「山王神社」の解説 山王神社さんのうじんじや 千葉県:佐倉市宮本村山王神社[現在地名]佐倉市宮本郷(ごう)に鎮座する旧村社。祭神大山祇神。近世は山王権現と称した。明治期に宮本(みやもと)神社と改称し、昭和一一年(一九三六)に現社名となった。延宝三年(一六七五)当時は宮本・直弥(なおや)・天辺(あまべ)・寒風(さむかぜ)・下勝田(しもかつた)・米戸(こめど)・瓜坪(うりつぼ)新田の七村、元文元年(一七三六)当時は宮本・直弥・天辺・寒風の四村の鎮守であった(同社棟札)。 山王神社さんのうじんじや 富山県:中新川郡立山町浦田村山王神社[現在地名]立山町浦田浦田(うらだ)集落に鎮座。祭神は大山咋命・大国主命・天手力男命。旧村社。水橋(みずはし)浦(現富山市)の山王権現を勧請したとされるが(越中志徴)、伝承では行基が北陸巡錫の折国家鎮護のため山王大権現の尊像と獅子頭を刻み勧請したといい、中世には仏生寺(ぶつしようじ)城(現舟橋村)城主細川越中守の祈願所として社領三〇〇俵を永代寄進され栄えたとされる。細川家が天正(一五七三―九二)初め頃に滅んでのち、同家に仕えていた安部清光が当社を守り、今日に至ったという。 山王神社さんのうじんじや 奈良県:北葛城郡広陵町南郷村山王神社[現在地名]広陵町大字南郷南郷(なんごう)集落北西方、字小田前(おだまえ)に鎮座。大山祇(おおやまつみ)神を祀る。旧村社。境内に藤原後期の石仏(県指定文化財)があり、「永治二年歳□(次カ)壬戌四月九日 奉造立石像□□ 五人願主郡釈永 □四反畝□敬白」と刻銘する。弥勒像と伝え、弥勒講が組織されているが、像容から胎蔵界大日如来像とする説もある。 山王神社さんのうじんじや 京都市:東山区清閑寺村清閑寺山王神社「山州名跡志」に鎮守の社として山門の内にあり、清閑寺がもと天台宗だったので、延暦寺の鎮守の近江日吉社の分霊を祀ったのであろうことを記す。「京都御役所向大概覚書」に「氏子境」は「南ハ妙法院御門跡領山限、北ハ清閑寺領限、東ハ山科花山村限、西ハ大仏境内渋谷町限」とあり、清閑寺村(現東山区)全域の産土神であったことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by