禅隆寺跡(読み)ぜんりゆうじあと

日本歴史地名大系 「禅隆寺跡」の解説

禅隆寺跡
ぜんりゆうじあと

[現在地名]上野市下神戸

推定地は三方が丘陵で北に開ける湯山谷(ゆやまだに)にある。昭和三七年(一九六二)の開墾の際平安後期の平瓦、鎌倉―室町期の巴文丸瓦などを含む古瓦が層をなして出土し、火災に遭ったらしく赤く変色していた。「大方広仏華厳随疏演義鈔」(東大寺図書館蔵)奥書によれば、正応四年(一二九一)正月一二日に東大寺戒壇院で校合した十地品を、元亨三年(一三二三)九月二〇日から一〇月二八日まで「伊州神戸禅隆寺」で審乗が読師となって演義している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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