福田理軒(読み)ふくだ・りけん

朝日日本歴史人物事典 「福田理軒」の解説

福田理軒

没年:明治22.8.17(1889)
生年:文化12(1815)
幕末明治期の算学者。兄復と共に兄弟算学者として著名。初め兄復に学び,のち武田真元,小出兼政(修喜)につき,また天保13(1842)年土御門家に召し抱えられ,その間大坂南本町に私塾を開き弟子に教授した。名は泉,理軒は号で別に順天堂とも号した。ハーシェルの天文書の漢訳本『談天』の訓訳本を刊行した。明治1(1868)年天文暦道が土御門家に委任されると暦算御用を勤めている。同4年天文暦道が土御門家を離れると星学御用掛を辞して東京に出て,和洋混合の数学塾を開いたが成功せずまた大阪へ帰った。『西算速知』『近世名家算題集』『明治小学塵劫記』ほか著述は数多い。

(内田正男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福田理軒」の解説

福田理軒 ふくだ-りけん

1815-1889 江戸後期-明治時代和算家
文化12年5月生まれ。福田金塘(きんとう)の弟。武田真元(しんげん),小出兼政(かねまさ)にまなび,大坂南本町で塾をひらく。明治4年東京にでて順天求合社を創設した。明治22年8月17日死去。75歳。大坂出身。初名は本橋惟義。通称は泉,鼎,主計など。別号に順天堂。著作に「順天堂算譜」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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