朝日日本歴史人物事典 「武田真元」の解説
武田真元
生年:生年不詳
江戸後期の和算家。通称篤之進,徳之進。土御門家に仕え,主計または主計正と称し,字は子孚,真空堂,無量斎と号した。村井宗矩に従い,没後宗矩の嗣子について研究。著述は多いが,数学遊戯に関するものが多い。中でも「浪花28橋智恵渡り」の1問があり,18世紀のスイスの数学者オイラー(L.Euler)のケーニヒスベルクの橋の問題に類した位相幾何学(トポロジー)の問題で,他に例をみない。概略は「分流する川で隔てられた中洲と他の3陸地を結ぶ7つの橋がある。ひとつの橋を1回だけ渡り7つの橋を全部渡りきるよう工夫せよ」というもので,これが位相幾何学の出発点といわれる。日本にもこの時代に新しい数学の考え方があったことを示すものである。
(道脇義正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報