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福野七郎右衛門 ふくの しちろうえもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

福野七郎右衛門 ふくの-しちろうえもん

?-? 織豊-江戸時代前期の柔術家。
柳生宗厳(やぎゅう-むねよし)に柳生新陰流をまなび,組み討ちの和(やわら)を創案し,元和(げんな)8年(1622)良移心当流(福野流)と名づけた。陳元贇(ちん-げんぴん)から中国拳法の伝授をうけたともいわれる。門人に茨木専斎(起倒流乱(みだれ)),寺田平左衛門(貞心流)ら。大坂出身。名は友善,正勝。

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朝日日本歴史人物事典の解説

福野七郎右衛門

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:永禄1?(1558)
安土桃山時代の柔術家。講道館道の源流のひとつ,起倒流柔術の実質上の創始者。摂津国浪華(大阪市)に生まれる。幼名を友善,のち正勝と称した。柳生宗厳より新陰流剣術を学び,天正10(1582)年ごろ印可(免許の類)を許された。幼少より相撲を好んだと伝えられており,そのためか剣よりも柔に進んだ。貞心流の寺田定安より皆伝を受けたとも,帰化人陳元贇に学んだともいわれ,福野流を唱えた。流名を起倒流に改めたのは,3代目の寺田正重とされる。投げ技を基本とした同流の組打は,のちの講道館柔道にも引き継がれた。<参考文献>錦谷雪『日本武芸小伝』

(早川史生)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の福野七郎右衛門の言及

【拳法】より

…この中国拳法を日本に伝えたのは,元和~正保年間(17世紀前期)日本に渡来した明(みん)の人陳元贇(ちんげんぴん)であるといわれる。彼は日本の武芸者である福野七郎右衛門,磯貝次郎左衛門,三浦与次右衛門に拳法を教え,この門弟たちが,日本の柔術をつくり発展させたとされている。突き,蹴りを中心とした中国拳法の技法が,日本の柔術に大きな影響を与えたのである。…

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