秀島寛三郎(読み)ひでしま かんざぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秀島寛三郎」の解説

秀島寛三郎 ひでしま-かんざぶろう

1785-1871 江戸時代後期の教育者。
天明5年6月生まれ。肥前松浦郡浦川内(うらがわち)村(佐賀県)の庄屋。文化-文政年間(1804-30)に明倫塾をひらき,のち厳木(きゅうらぎ)村に塾をうつし会輔塾と称し,中島村にも塾をひらく。また農業を奨励し,「農桑道利」をあらわした。明治4年5月21日死去。87歳。名は義剛。字(あざな)は子泉。号は鼓渓。著作に「松浦記集成」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む