黄表紙(読み)キビョウシ

デジタル大辞泉 「黄表紙」の意味・読み・例文・類語

き‐びょうし〔‐ベウシ〕【黄表紙】

《表紙が黄色であったところから》江戸後期の草双紙の一。しゃれと風刺に特色をもち、絵を主として余白に文章をつづった大人向きの絵物語。安永(1772~1781)から文化(1804~1818)にわたり流行。二つ折りの半紙5枚で1巻1冊として2、3冊で1部としたが、しだいに長編化して合巻ごうかんに変わった。恋川春町山東京伝などが代表的な作者。

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精選版 日本国語大辞典 「黄表紙」の意味・読み・例文・類語

き‐びょうし‥べウシ【黄表紙】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 黄色の表紙。
    1. [初出の実例]「七巻抄 黄表紙 水精軸」(出典:真俗交談記(1191))
  3. 草双紙(くさぞうし)の一つ。江戸後期、安永四年(一七七五)から文化三年(一八〇六)頃にかけて多く刊行され、黄色の表紙で、内容はしゃれ、滑稽、風刺をおりまぜた大人むきの絵入り小説。半紙二つ折本で、一冊五枚から成り、二、三冊で一部とした。代表的な作者として恋川春町、山東京伝らがいる。
    1. [初出の実例]「京伝は、骨董集に事実を挙(あげ)典故(もと)を訂せし、其罪至って軽(かろ)からねど、黄巻(キベウシ)茶表紙の功徳により、相半々々(ごぶごぶ)にして帳消なり」(出典西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉三)

黄表紙の語誌

( 1 )は、赤本・黒本・青本と同様、表紙の色による命名。子ども向け草双紙青本は、最初萌葱色の表紙であったが、やがて黄色の表紙をつけるようになる。明和一七六四‐七二)頃から大人を対象としたものも現われはじめ、それを黄表紙と呼ぶが、実際にはかなり後まで青本と呼ばれていたようである。
( 2 )文化頃から敵討物などの流行による長編化に伴い、何部かを合冊して出版するようになった。文化三年(一八〇六)「雷太郎強悪物語」以降「合巻(ごうかん)」へと移行する。

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改訂新版 世界大百科事典 「黄表紙」の意味・わかりやすい解説

黄表紙 (きびょうし)

江戸時代中期以後数多く出版された,絵を主とする小説である〈草双紙(くさぞうし)〉の一様式をいう。草双紙の〈黒本・青本〉のあとを受けて,外形は青本と同じく黄色表紙であるが,内容は当世の世相,風俗,事件などを流行語をまじえて写実的に描写するとともに,ことさらに常識に反し理屈を排除して,荒唐無稽な構想・表現による滑稽をもっぱらねらったもので,1775年(安永4)刊の恋川春町(こいかわはるまち)画作《金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)》から始まるとされる。春町の友人朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)も《親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつづみ)》(1777)を出し,以後両人の多くの名作によって,“(つう)”と“むだ”すなわち洒落と機知によるおかしさをねらった成人の漫画ともいうべき作風がうち立てられた。やがて芝全交(しばぜんこう)《大悲千禄本(だいひのせんろつぽん)》(1785),唐来参和(とうらいさんな)《莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)》(1785),山東京伝《江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)》(1785)などによって,天明年間(1781-89)には黄表紙全盛期を迎えたが,天明末の田沼政権の没落と松平定信寛政改革に取材した,喜三二《文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)》(1788)や春町《鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)》(1789)その他が当局の忌諱に触れ,取締りが厳しくなった。京伝は《心学早染草(しんがくはやそめぐさ)》(1790)で,いちはやく黄表紙が排除してきた理屈臭さを表に掲げて心学教化風の作品を出した。十返舎一九(じつぺんしやいつく),式亭三馬曲亭馬琴らの新人の登場した改革後の寛政後半の黄表紙は,すべてまじめな教訓を絵画による見立て・比喩・地口・語呂合せのおかしさなどで繕う傾向を示した。やがて早くから敵討に取材していた南仙笑楚満人(なんせんしようそまひと)の《敵討義女英(かたきうちぎじよのはなぶさ)》(1795)などが注目をあび,1804年(文化1)ごろからは敵討物が黄表紙を支配するにいたり,黄表紙の本質的戯謔は完全に失われる。話の複雑な筋を重視しておのずから長編化し,ために1806年(文化3)ごろから新しい製本法による草双紙の〈合巻ごうかん)〉が生まれて,黄表紙の時期は終わる。
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百科事典マイペディア 「黄表紙」の意味・わかりやすい解説

黄表紙【きびょうし】

草双紙の一種。黒本青本が成人向きに字が多くなったもの。表紙が黄色。恋川春町の《金々先生栄花夢》が初めで,安永・天明(1772年―1789年)ころから文化(1804年―1818年)ころまで盛行。初め滑稽(こっけい)・風刺・洒落(しゃれ)を旨とし,寛政改革後,教訓臭を強める。代表作は山東京伝の《江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)》,朋誠堂喜三二の《文武二道万石通》,南杣笑楚満人の《敵討義女英》など。
→関連項目雷太郎強悪物語石川雅望江戸文学大田南畝曲亭馬琴戯作恋川春町合巻山東京伝鹿都部真顔式亭三馬十返舎一九通言総籬帝国文庫唐来参和

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄表紙」の意味・わかりやすい解説

黄表紙
きびょうし

草双紙(くさぞうし)の一態。『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』(恋川春町(こいかわはるまち)作・画)が刊行された1775年(安永4)から、『雷太郎強悪(いかずちたろうごうあく)物語』(式亭三馬(さんば)作、歌川豊国(とよくに)画)の出版された1806年(文化3)までの草双紙約2000種の総称。名称は表紙が黄色であることによるが、前代の青本の表紙と類似するため、江戸時代は青本の名でよばれた。序文などを除き、全丁絵入りで、中本(ちゅうほん)型、5丁(10ページ)を1巻1冊とし、通常2~3巻(冊)よりなる。

 当時の知識人たる武家作者によってその形式が確立されたため、知的で徹底したナンセンスな笑いをその生命としながらも、洒落本(しゃれぼん)同様に、江戸市井の現実生活を踏まえ、きわめて写実的であった点に特徴がある。絵は文と不即不離の関係にあり、絵解きも黄表紙理解の重要な鍵(かぎ)で、当代第一級の浮世絵師(鳥居清長、北尾重政(しげまさ)、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、歌川豊国ら)が筆をとっている。最盛期は安永(あんえい)末年から天明(てんめい)年間(1780年代)で、狂歌を中心とする天明文壇をはじめ、劇壇、画壇、吉原などの遊里と密接に関連して、『無益委記(むだいき)』(春町作・画)、『一流万金談』(朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)作、北尾政演(まさのぶ)(山東京伝)画)、『大悲千禄本(せんろっぽん)』(芝全交作、政演画)、『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(山東京伝作・画)などの傑作を生み出すとともに、全交、京伝らの町人作者を輩出させた。

 しかし、田沼意次(おきつぐ)の没落と松平定信(さだのぶ)による寛政(かんせい)の改革政治は、この政変をかっこうの材料として『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』(喜三二作、喜多川行麿画)、『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』(春町作、北尾政美(まさよし)画)を生み出した黄表紙作者に弾圧を加え、武家作者の総退場という結果を招じ、曲亭馬琴(きょくていばきん)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、三馬らを新しく作者として迎える。こうした出版取締りの強化によって、草双紙の伝統的な一側面であった教訓性が復活するとともに、伝奇的な敵討(かたきうち)物が盛行し、これが長編化して、次代の合巻を誕生させることとなるのである。

[宇田敏彦]

『水野稔校注『日本古典文学大系 59 黄表紙・洒落本集』(1958・岩波書店)』『浜田義一郎他校注『日本古典文学全集 46 黄表紙・川柳・狂歌』(1971・小学館)』『小池正胤・宇田敏彦他編『江戸の戯作絵本』全4巻(社会思想社・現代教養文庫)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄表紙」の意味・わかりやすい解説

黄表紙
きびょうし

江戸時代後期に行われた草双紙の一種。青本から発展,成人向きに仕立てられたもの。名称は表紙の色に由来し,5丁を1冊として2冊ないし3冊程度で1編をなす。恋川春町作画『金々先生栄花夢』 (1775) を先駆とし,当世風の写実をもっぱら用い,諧謔と風刺を目的とする。天明5 (85) 年には山東京伝作画『江戸生艶気樺焼 (えどうまれうわきのかばやき) 』が出て代表作としての地位を得るが,寛政の改革を風刺した作品が春町,京伝らの筆禍事件を招き,発禁が相次いで作風は一変した。京伝作『心学早染草』 (90) などの教訓物が流行,さらに南杣笑楚満人 (そまひと) 作『敵討義女英 (かたきうちぎじょのはなぶさ) 』 (95) をはじめとするかたき討ち物の全盛を迎えて,風刺と諧謔はまったく姿を消し,話の複雑化は冊数の増加を招き,文化3 (1806) 年以後合巻へ変貌する。代表作者はほかに朋誠堂喜三二 (手柄岡持 ) ,芝全交唐来三和,市場通笑,式亭三馬など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「黄表紙」の解説

黄表紙
きびょうし

草双紙を分類するときの文学史用語。「金々先生栄花夢」が刊行され,それ以前の青本の流れに一石を投じた1775年(安永4)から,草双紙における合巻(ごうかん)様式成立に大きな影響を与えたとされる「雷太郎強悪(いかずちたろうごうあく)物語」刊行の1806年(文化3)までの約30年間に刊行された草双紙。料紙に漉返し紙を用いて5丁を1冊に綴じわけ,萌黄(もえぎ)色の表紙に絵題簽(だいせん)を付けるのが基本的な形態。上質の料紙を用い,1冊に綴じ薄小豆色の表紙を掛けた上に,多色摺の上袋で包んで売り出された袋入とよばれる豪華装丁本もある。代表的な作者に恋川春町・朋誠堂喜三二・山東京伝・曲亭馬琴・十返舎一九・式亭三馬らがいる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「黄表紙」の解説

黄表紙
きびょうし

江戸中期以後の草双紙の一つ
表紙が黄色。短期間しか出なかった黒本・青本に続き,洒落・風刺・滑稽味を加えて風俗を描出した。天明期(1781〜89)が最盛。恋川春町『金々先生栄花夢』,山東京伝『江戸生艶気樺焼 (えどうまれうわきのかばやき) 』など著名な作品が多い。のち合巻 (ごうかん) へと発展した。

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世界大百科事典(旧版)内の黄表紙の言及

【戯作】より

…江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716‐36)以降に興った談義本洒落本(しやれぼん)や読本黄表紙,さらに寛政(1789‐1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。…

※「黄表紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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