秋塚村(読み)あきづかむら

日本歴史地名大系 「秋塚村」の解説

秋塚村
あきづかむら

[現在地名]沼田市秋塚町

奈良なら村の東、薄根うすね川の右岸にあり、東は同川を隔てて生品なましな(現利根郡川場村)北東天神組てんじんぐみ(現同上)、北は大倉蘭おおくらあららぎ新田。天正一八年(一五九〇)一二月一二日真田信幸知行宛行状(写、「沼田記」所収)で高野彦三に与えられた地に「秋塚村弐拾三貫文」がある。寛文郷帳では高一一六石余、うち田方三七石余・畑方七八石余。寛文三年(一六六三)真田領村高書上控では高五二四石余。宝永元年(一七〇四)沼田領村々石高書上では高二五三石余、反別は田方八町五反余・畑方三一町三反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む