秋山 好古(読み)アキヤマ ヨシフル

20世紀日本人名事典 「秋山 好古」の解説

秋山 好古
アキヤマ ヨシフル

明治・大正期の陸軍大将



生年
安政6年1月7日(1859年)

没年
昭和5(1930)年11月4日

出生地
伊予国松山(愛媛県)

別名
通称=秋山 信三郎

学歴〔年〕
陸士(旧3期)〔明治12年〕卒,陸大〔明治18年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日桐花大綬章

経歴
明治19年東京鎮台参謀、20年〜24年フランス留学。27年日清戦争に騎兵第1大隊長として従軍。29年乗馬学校(騎兵実施学校に改称)校長。34年清国駐屯軍参謀長、35年少将に進み、36年騎兵第1旅団長。37年日露戦争に従軍、田家屯の激戦奉天会戦で秋山騎兵団の名を上げた。39年第1騎兵監。40年第2回万国平和会議に軍事委員として隨行。42年中将となり、第13師団長、近衛師団長、朝鮮軍司令官を歴任。大正5年大将。9年教育総監兼軍事参議官。12年予備役。13年から松山の北予中学校長を務めた。“日本陸軍騎兵の父”といわれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「秋山 好古」の解説

秋山 好古 (あきやま よしふる)

生年月日:1859年1月7日
明治時代;大正時代の陸軍軍人。大将
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報