秋野豊(読み)アキノ ユタカ

20世紀日本人名事典 「秋野豊」の解説

秋野 豊
アキノ ユタカ

昭和・平成期の国際政治学者 元・筑波大学社会科学系助教授。



生年
昭和25(1950)年7月1日

没年
平成10(1998)年7月

出生地
北海道小樽市

学歴〔年〕
北海道大学法学部卒,ロンドン大学スラブ東欧学大学院修了,北海道大学大学院法学研究科〔昭和56年〕博士課程修了

学位〔年〕
法学博士(北海道大学)

主な受賞名〔年〕
読売国際協力賞(第5回)〔平成10年〕

経歴
昭和54年から3年間、ロンドン大学スラブ東欧学研究所で研究にあたる。56〜61年北海道大学法学部助手。この間、58〜59年在モスクワ日本大使館専門調査員として、旧ソ連・東欧関係、旧ソ連のアジア政策の分析に携わる。61年筑波大学社会科学系講師、北海道大学スラブ研究センター兼任研究員、63年筑波大学助教授。平成4〜6年米国・東西研究所欧州センター研究員。のち筑波大学を退職。6年9月の旧共産党系タジキスタン政府とイスラム系反政府勢力の停戦合意を受け、停戦監視のため、10年4月国連タジキスタン監視団の政務官として旧ソ連から独立したタジキスタンへ派遣された。同年7月20日首都ドゥシャンベ東方の山岳地帯で反政府武装勢力の銃撃を受け、死亡した。著書に「日本とASEAN」「世界は大転回する」「欧州新秩序を読む」「偽りの同盟」など。11年一周忌にあたり、ユーラシア研究者支援のための秋野豊ユーラシア基金が設立される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秋野豊」の解説

秋野豊 あきの-ゆたか

1950-1998 昭和後期-平成時代の国際政治学者。
昭和25年7月1日生まれ。北大スラブ研究センター研究員,筑波大助教授,アメリカの東西研究所欧州センター研究員などをつとめる。平成10年国連の停戦監視団の政務官としてタジキスタンへ派遣され,活動中の同年7月20日反政府勢力の銃撃をうけ死去。48歳。北海道出身。早大卒,北大卒。11年ユーラシア研究者のための秋野豊ユーラシア基金が設立された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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