日本歴史地名大系 「秦下村」の解説 秦下村はだしもむら 岡山県:総社市秦下村[現在地名]総社市秦(はだ)・福谷(ふくだに)上原(かんばら)村の北、蛇行する高梁(たかはし)川の右岸に位置する。渡来氏族秦氏が居住したと伝え、「和名抄」の下道郡秦原(はたはら)郷に比定される。また康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒案(安楽寿院古文書)などにみえる橋本(はしもと)庄が一帯に推定されている。応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)では、秦郷として小豆八〇束を内藤遠正が奉献している。文安元年(一四四四)一二月五日の上原郷百姓等目安(九条家文書)によれば、秦に井手が掘られていた。寛永備中国絵図では高八一九石余で岡山藩領、秦の内として荒(あら)・上(かみ)を記す。宝永五年(一七〇八)同藩生坂領となり(撮要録)、以後幕末まで続く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by