秦彦三郎(読み)ハタ ヒコザブロウ

20世紀日本人名事典 「秦彦三郎」の解説

秦 彦三郎
ハタ ヒコザブロウ

大正・昭和期の陸軍中将 関東軍参謀長。



生年
明治23(1890)年10月15日

没年
昭和34(1959)年3月20日

出生地
三重県

学歴〔年〕
陸士〔明治45年〕卒,陸大〔大正8年〕卒

経歴
大正11年参謀本部ロシア班員となり、15年ソ連大使館付兼スウェーデン公使館付武官補佐官、昭和5年ポーランド公使館付武官、8年参謀本部ロシア班長、9年ソ連大使館付武官、11年陸軍省新聞班長。日中戦争が始まってハルビン特務機関長、15年関東軍参謀副長、16年10月中将。太平洋戦争に入って第34師団長、18年参謀次長、20年関東軍参謀長となり、敗戦後ソ連に抑留され、31年12月復員した。陸軍切ってのロシア通といわれ、著書に「隣邦ロシア」「苦難に堪えて」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秦彦三郎」の解説

秦彦三郎 はた-ひこさぶろう

1890-1959 大正-昭和時代前期の軍人
明治23年10月15日生まれ。参謀本部ロシア班員,ソ連大使館付武官などをつとめ,昭和16年陸軍中将。20年関東軍総参謀長となり,終戦の処理にあたった。戦後はソ連に抑留され,31年復員。昭和34年3月20日死去。68歳。三重県出身。陸軍大学校卒。著作に「苦難に堪えて」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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