秦梨村(読み)はたなしむら

日本歴史地名大系 「秦梨村」の解説

秦梨村
はたなしむら

[現在地名]岡崎市秦梨町

矢作川の支流おと川が、三河高原に入る中流一帯の谷間と段丘上に立地。北は乙川沿いの栗木くりき村、西は友久ともひさ村、南は茅原沢ちはらざわ村に接する。古くは、高隆寺こうりゆうじ村より三河高原の尾根を通る道根どうね古道が、友久村より当村を通り東北進し、作手つくで(現南設楽郡作手村)から鳳来ほうらい(現南設楽郡鳳来町)方面へと通じていた。

中世は、足利氏被官高氏の所領に属す。嘉元三年(一三〇五)の前田家文書によると、足利貞氏は秦梨城主粟生四郎入道に秦梨郷の郷司職を領掌させた。「武徳編年集成」の弘治二年(一五五六)三月の項に、松平義春日近ひちか(現額田郡額田町)地方に進攻してきた奥平貞久と戦い敗れ、粟生信盛が奥平氏の追撃を防いだことをもって今川義元より感状を受けたことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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