稲毛 多喜
イナゲ タキ
        
              
                        明治〜昭和期の教育者 稲毛学園理事長。 
- 生年
 - 明治19(1886)年6月24日
 
- 没年
 - 昭和22(1947)年6月17日
 
- 出生地
 - 千葉県市原郡十五沢
 
- 学歴〔年〕
 - 私立裁縫女学校卒
 
- 経歴
 - 15歳の時に一家を上げて上京。17歳で同郷の小地主・立野与と結婚し、36年には長男信之(のちの小説家・立野信之)を出産した。しかし、夫の放埒な生活を嫌って婚家を離れ、40年東京・日本橋馬喰町に稲毛和洋裁縫所を開いた。同所は関東大震災ののちに巣鴨へ移り、稲毛和洋専門学院に改称。次いで、昭和10年には滝野川への校舎移転を機に学園組織を稲毛学園とした。また、同時に桜丘女子商業学校を併設し、それらの理事長兼校長として学校経営と後進の育成に力を注いだ。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    稲毛多喜 いなげ-たき
        
              
                        1886-1947 明治-昭和時代の教育者。
明治19年6月24日生まれ。立野信之(のぶゆき)の母。17歳で立野与と結婚。のち婚家をでて,明治40年東京日本橋馬喰(ばくろ)町に稲毛和洋裁縫所をひらく。昭和10年稲毛学園と改称,同時に桜丘女子商業(現桜丘女子中学・高校)を設立した。昭和22年6月17日死去。62歳。千葉県出身。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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