稲穂崎町(読み)いなほさきまち

日本歴史地名大系 「稲穂崎町」の解説

稲穂崎町
いなほさきまち

[現在地名]岩内郡岩内町字大和やまと・字御崎みさき

明治初年(同二年八月―六年の間)から同三三年(一九〇〇)まで存続した村・町。岩内市街の西部野束のづか川河口の右岸部に位置する。岩内場所絵図(増田家蔵)ではイワナイ運上家の西に「稲穂崎」が描かれ、「蝦夷日誌」(二編)ではエナオ岬とする。明治三年六月の弥吉火事により三島みしま堀江ほりえ両所と合せて五八戸が焼失(岩内町史)、海に臨んで商家・漁家が立並んでいたとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む