岩内町(読み)いわないちよう

日本歴史地名大系 「岩内町」の解説

岩内町
いわないちよう

明治三三年(一九〇〇)から昭和三〇年(一九五五)まで存続した村。当地域の一帯は明治二年八月の国郡画定により岩内郡に所属、その当初より岩内市街の村(岩内村か)が設置されたと思われ、同六年市街の村から稲穂崎いなほさき村・御鉾内おむない村が分立した。史料上は岩内としてみえる場合が多い。明治三年の「北行日記」に「岩内運上屋」とみえ、「岩内本陣」では酒肴に「水胡瓜てりいか雑魚煮」などが出ている(同年八月一〇日条)。同四年札幌病院出張所が岩内に置かれた(事業略記)。同一〇年八月船改派出所設置(「事業報告」第一編)。同一二年の「共武政表」に戸数三五一・人口一千五二〇、官廨四、寺五、学校二、水車一、馬二六五、日本形船舶三五八、物産は大麦・小麦・粟・稗・蕎麦・鰊・鮭・鱒・鯣・鱈・鮑・昆布・炭・薪とある。同一二年、岩内古宇郡役所が置かれ(二郡管轄)、また刑法局出張所が設置された(「事業報告」第一編)。同二三年五月岩内で火災があり、一八〇戸余が焼失(北海道史)、九月の火災では六〇〇戸余が焼失(岩内町史)


岩内町
いわないちよう

面積:七〇・六四平方キロ

昭和三〇年(一九五五)四月、岩内町が島野しまの村を合併して成立。後志支庁管内の中央部西寄りに位置し、北西部は日本海に臨む。東は共和きようわ町、南は磯谷いそや蘭越らんこし町に接する。南東部に岩内岳(一〇八五・七メートル)がそびえ、その背後の山並目国内めくんない(一二〇二・六メートル)などニセコ連峰に連なる。南部に雷電らいでん(一二一一・七メートル)などが続く雷電山系がある。これらを水源とする野束のづか川・ニチナイ川・幌内ほろない川・当別とうべつ川・湯内ゆうない川などが北流して日本海に注ぐ。北東部の岩内平野に岩内市街が形成され、岩内港が置かれる。農地は総面積の六パーセントで、山林・山岳地が六八パーセントを占める。海岸部を国道二二九号が通る。南西部の雷電海岸は雷電岬・カスベノ岬・ビンノ岬などを含めて絶壁・断崖が続き、刀掛かたなかけ岩や海中のかさ岩・二ツ岩など奇岩も多く、景勝地となっており、ニセコ積丹小樽海岸国定公園のうち。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩内町」の意味・わかりやすい解説

岩内〔町〕
いわない

北海道西部,日本海に面する町。積丹半島の基部西側に位置する。 1900年町制。 55年島野村と合体。地名はアイヌ語のイワナイ (硫黄の流れる沢の意) に由来。江戸時代,明治期はニシン漁で繁栄。岩内港はスケトウダラ,イカなどの沿岸漁業の基地であるが,漁港から産業港へと整備され,水産加工業が発達。周辺では米作と畑作,畜産も行われる。町域南部には雷電山 (1212m) や雷電温泉,雷電海岸には雷電岬,ビンノ岬などがあり,ニセコ積丹小樽海岸国定公園に属する。国道 229号線が通る。面積 70.60km2。人口 1万1648(2020)。

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